娘と2人で訪れました。国宝の建造物 仏像など 厳かな雰囲気の中にも 私たちがタイミング良く住職さんの有り難くも楽しいお話…説法?が聞けました。娘めためになるし面白がったと満足しておりました。お参りを済ませ御朱印をいただき 充実した薬師寺参拝でした。皆さんも是非行かれたらどうでしょう?
少し残念な雨模様でしたが、そのお陰で人も少なくゆっくりと拝観出来ました。広大な敷地の中で荘厳な仏像を見るのは心を癒されます。代表的な薬師如来さまは温かく鎮座されて後光が射していました。ならの代表的な世界遺産では有りますが少し穴場的な寺院です。一度訪れる事をお勧めします。
薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町にある法相宗の大本山の仏教寺院で、山号はありません。ご本尊は薬師三尊様です。
680年に天武天皇の発願により、飛鳥の藤原京(奈良県橿原市)で造営が開始され、平城京への遷都後の8世紀初めに現在の西ノ京に移転されました。日本書紀や薬師寺東塔の屋上にある相輪支柱に刻まれた「東塔檫銘」(とうとうさつめい)でも、天武天皇9年(680)に天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良(うののさらら)皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願し伽藍を創り始めた、とあります。ただ、天武天皇は寺の完成を見ずに朱鳥元年(686)に崩御され、伽藍の整備は持統天皇、文武天皇に引き継がれました。扶桑略記では、天平2年(730)に東塔(三重塔)が完成したと記録されており、この頃までは伽藍の造営が続いていたようです。
その後、平安時代中期の天禄4年(973)には、火災によって講堂、僧坊、南大門など多くの建物が焼失しましたが、幸い、金堂、東塔、西塔は残りました。
戦国時代の享禄元年(1528)には兵火によって、東塔や東院堂以外の建物は全て焼失してしまい、現存する奈良時代の建物は東塔のみとなりました。金堂は慶長5年(1600)になって郡山城主の増田長盛が再建し、大講堂は嘉永5年(1852)に再建されましたが、伽藍全体では奈良時代の往時に遠く及びませんでした。
大きな転機は、はるか後の現代、高田好胤(たかだこういん)が管主に就任したことで訪れます。昭和43年(1968)から百万巻の写経勧進による白鳳伽藍復興事業が開始され、昭和51年(1976)に金堂、昭和56年(1981)に西塔、昭和59年(1984)に中門、平成7年(1995)に東西回廊の一部、平成15年(2003)に大講堂、平成29年(2017)には食堂(じきどう)が再建されました。
薬師寺を代表する建物の一つである東塔は、奈良時代の遺構であり国宝に指定されています。一見、六重の塔に見えますが、地面に近い方から1・3・5番目の屋根は裳階(もこし)であり、構造的には三重の塔です。また建築様式の点では、飛鳥様式の法隆寺五重塔や法起寺三重塔と、奈良時代末期の當麻寺東塔や平安時代初期の醍醐寺五重塔の中間で過渡期的な様式を持ちます。また特徴的な姿から「凍れる音楽」と評されますが、明治時代に当寺を訪れたアーネスト・フェノロサによる表現というのは誤りだそうです。
金堂は昭和51年(1976)に再建され、堂内には国宝の薬師三尊像が安置されています。なお、慶長5年(1600)に増田長盛が再建した以前の金堂は、昭和50年(1975)に興福寺に仮金堂(現・仮講堂)として移築されました。
東院堂は、鎌倉時代の弘安8年(1285)に再建されたもので国宝に指定され、同じく国宝のご本尊・聖観音立像を堂内の厨子に安置します。
他にも、広い境内に貴重な建物や文化財が多数あり、奈良を訪れた際は必ず拝観したい神社仏閣の一つです。
写真は、7月中旬に撮影したものです。
法相宗の大本山。
檀家さんはおらず、墓もないし、お葬式をあげる事もないんだそう。
国宝の建物は東塔だけらしいが、伽藍全体はかなり広大で見所は満載です。7月20日祝日に行きましたが、奈良公園近辺と違い、外国の方々は少なく、ゆったり拝観できました。
たまたま無料の法話の時間になり、参加しましたが、大変楽しく、漫談のように薬師寺の成り立ちや、写経の勧め等を聞けました。
奈良の薬師寺、広い!(笑)
元々は、680年に当時の天皇・天武天皇の皇后への病気平癒を願って建てられたことにはじまり、飛鳥の藤原宮から、平城宮に移るときも移設してきたのだとか。誰だこんなすごい規模の移設した人…。当時の人はすごかったのですね。
病気平癒のためなので、薬師三尊像が祀られています。
とにかく、ぺたーっと土地が広いので、人混みがいてもなんのその。ぶつかり合うことなんてありません。そしてお坊さんの透美声凄い、マイク無しで通る声のハリのあること…!!
風が吹き、日は輝き、あぁ、長く守られてきた人の土地だなぁと実感。仁王様も何処かオシャレで、服装も色も格好良いです。
奈良は豊かだわ。