平和について考える…祖父母や親族たちが被爆者、被爆者の救護をした、助けるために被爆後市内に入った…爆死した経験がありました。最近になって、当時爆死した曾祖父が城山に住んでいただいたいの場所を探す事ができました。この場所で一瞬で消された人、家畜、建物…存在すら消してしまう…二度と使ってはいけない兵器だと思います。被爆を体験された人も高齢になり、生きている間に原爆の事を伝えようとされている人もいます。79年前に起こった事を原爆や戦争を知らない若い人達にも知って欲しいと活動をされている人…地元の高校生の皆さんも努力活動されています。命の重みを感じて欲しい場所であります。そして今の戦争が1日でも早く解決、終戦になるように祈ってます。どうぞ安らかに…。今日が皆さんにとって…人生で良い日になりますように…心から願っています。Have a good day in your life
被爆を訴えている方々、全員が「被爆者」と認めてくださるよう願っています。命は永遠ではありません。いつかは終わりがやってきます。私は被爆3世にあたりますが、祖母は白血病、母は乳がんで亡くなりました。親族のように病気になるかもしれません。当時、原爆投下後の混乱とした長崎市内を心配された人たちは多かったでしょう。79年前の皆さんの気持ちをさっしていただけたらと思います。原爆の事は話しませんでしたが『元気にしとかんば!』被爆者父方の祖母の遺言です。被爆者一人一人の心や声、生き方に寄り添う事が解決への道に繋がれるのではないでしょうか。被爆の場所も怪我、病気、人それぞれ違うのですから…今戦っている人達は1日1日を一生懸命に生きておられます。被爆者認定していただけるよう心より願っています。
※復元地図の本を出版された著者の方、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。