広島城は太平洋戦争中に消失したため、復元されたものですが広島市内を見渡せて入場料も他のお城に比べてリーズナブルなので、良いかと思います。
入場チケット売り場は場内の石垣の内部部分に1か所でpaypay使えますが、混雑時は現金でお願いしますとなっていました。
お城以外にも、原爆投下時被害の後の残る石垣や植木なども残っている歴史的価値のある遺構です。
一部写真、写真逆光ですみません。
黒色の広島城は、5層5階建ての立派なお城です。別名「鯉城(うじょう)」と言います。
アクセスはバスが便利なようです。お堀に囲まれたお城の敷地へは、東側か南側の橋を渡ってアプローチします。
自分はJR新白島駅(広島駅から西へ一つ行った駅)から徒歩で行きました。新白島から徒歩10分ほどで広島城のお堀の北側に着き、そこから10分くらいで東側にある橋を経由して天守閣まで行けます。
天守閣は2階と3階が刀剣や甲冑、広島城の歴史などを解説したパネルが展示されています。刀の重さ体験というコーナがありましたが、思っていたよりも重たくて、昔の武士はこれを振り回して戦ったいたから大したものだと思いました。
4階は企画展、5階は展望台になっています。展望台からは広島市内を360度見渡せて眺望抜群です。広島の都市部の街並みを始め、広島を囲む山々、遠くに宮島が綺麗に見えました。
広島城は、豊臣政権五大老のひとりである戦国武将の毛利輝元が1589年から1599年にかけて築城したのが始まりで、明治の廃藩置県により城としての役目は終わったものの木造の天守閣は残ったままで、太平洋戦争での原爆投下で破壊されました。現在のお城は1958年に鉄筋コンクリートで再建されたものです。
なお、築城は毛利輝元でしたが、関ヶ原の戦いに際して毛利輝元は西軍総大将だったため、戦後は領地を大きく減らされ、広島を出て萩城へと移っていきました。かわりに入封したのが、東軍で活躍した福島正則で、本丸、二の丸など今に残る遺構も、ほとんどが正則時代に完成したものです。
太田川河口に築かれた広島城は、総面積は約90万平方メートルと、当初は広大なものでした。現在は本丸と二の丸、それを取り囲む内堀が残るのみですが、それでも広く感じます。当時は内堀、中堀、外堀の三重の堀に囲まれていたそうです。
館内の展示物は興味深い物が多いのですが、案内表示が破れたり、煤けたりしています。メンテナンスが全くされていません。また、バリアフリーが全く整っておらず全て階段で移動します。取って付けたように車椅子が一台置いてありますが、どうやって使うのでしょうか?外観や周囲には貴重な遺物がたくさんありますが、中は昭和で時間が止まった様な設えです。広島市が全くメンテナンスしておらず、広島城に観光客を誘致する気がありません。たくさんの外国の方が来ていましたが、英語表記も少なく、せっかく広島に来て下さったのに申し訳ない気がしました。
木造に作り替える話も昔からありますが、いつになることやら。行政がこんなだから人口流出ワーストなんだと思いました。
爆心地から歩いて行けるくらいの距離なので、建て直したお城です。中は資料館みたいになっています。中のスタッフが警備の人を含めて積極的に展示物の解説をしようとする姿がとても好印象でした。料金を支払う際、一つのブースで「現金」の人と「それ以外」の人用で窓口が分かれているのですが、「それ以外」の窓口の人は決して現金を受け取らずに「現金」の人用の列に並び直すよう言うので、同じブース内だしそこは少し柔軟に対応しても良いのでは?と思いました。
2024年1月2日、広島城を訪れました。広島護国神社と隣接しており、広島駅から乗車したバスが初詣客の渋滞に巻き込まれ、ようやく到着しました。
広島城内では歴史や刀に触れ、その重みを体験したり、当時の生活の様子が分かる展示も興味深かったです。
展望台からは、広島市内の美しい景色を一望できました。歴史の重みを感じると同時に、広島の復興の力強さにも感動しました。また訪れたいと思いました。