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Jimokuji Kannon

4.1 (200)Tourist AttractionPlace Of WorshipPoint Of InterestEstablishment

Jimokuji Kannon, located in Ama City, Aichi Prefecture, is a historical and spiritual marvel. Founded in 597 during Empress Suiko's reign, this temple began when a fisherman discovered a golden statue of Kannon, the Goddess of Mercy, in his net.

Over the centuries, it became one of the four revered Kannon temples of the Owari region. The temple, recognized as a Chokuganji temple after aiding Emperor Tenchi's recovery, boasts significant cultural properties.

Visitors can explore the beautiful southern and eastern gates, and a magnificent three-storied pagoda designated Important Cultural Properties. The temple is also home to the healing deity Binzuru-sama, believed to cure illnesses.

Jimokuji Kannon hosts a vibrant handmade morning market on the 12th of every month, offering a delightful cultural experience. Whether you seek a peaceful retreat or an enriching historical journey, Jimokuji Kannon is a destination worth visiting.

Plan your visit to this timeless sanctuary and immerse yourself in its serene beauty and rich heritage.

Hours

8:00 AM - 5:00 PM

Closed

No closing days

Available

All year

Minimum Age

All ages are welcome

Admission Fee

Free



The area

Address
日本、〒490-1111 愛知県あま市甚目寺東門前24

What other travelers are saying about Jimokuji Kannon

創建が597年という古刹。甚目竜麿呂という漁師が海中から紫金の聖観音像を水揚げし、これを安置する御堂を建てたのが始まりとのこと。その後は勅願寺となり、天智•天武天皇、頼朝、梶原景時、一遍、秀吉、家康とこの寺の隆盛に関わった歴史的人物は数知れず。枇杷島から津島に抜ける上街道にあるこの寺とその門前町は大いに賑わったという。甚目寺駅からお寺に向かう道沿いにそんな街道の雰囲気も僅かに残っています。
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Akihiro Ueda
2024/11/02
240323 愛知近郊探索で行きました。 地名にもなるくらい有名で、何回か来たことはありましたが、しっかりお参りするのは初めてでした。女性の住職さんと思しき方に、丁寧に御朱印のご対応をいただきました。ありがとうございました。妻が鳩の大群に大喜びでした。
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soycye
2024/07/11
参拝しご本尊とお不動さんの御朱印2種をいただきました。 ご本尊の聖観世音菩薩は尾張三十三観音の第十六番であり尾張四観音の一つでもあります。 東海三十六不動尊の第5番札所ともなります。
落ち着いた気持ちで参拝できる観音様です。 老若男女の参拝の方が訪れて、各々がしっかりと手を合わせて拝まれてます。 私が訪れた時もスーツ姿の一団の方々が参拝されてました。 鳩も多いので、子供は鳩への餌やりで楽しめると思います。
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tune tsune
2024/10/05
伝承によれば、推古天皇5年(597年)、伊勢国の海人豪族である甚目龍麿(甚目龍麻呂、はだめたつまろ)が漁をしていたところ、当時海であったこの地付近で観音像が網にかかり、その観音像を近くの砂浜に堂を建て安置したのが始まりという。この観音像は、敏達天皇14年(585年)に、物部守屋、中臣勝海の手によって海に投げられた3体の仏像のうち1体(聖観音)といわれている。残りの2体のうち、阿弥陀如来は善光寺、勢至菩薩は安楽寺(太宰府天満宮)にあるという。龍麻呂は、自らの氏をもって「はだめでら」と名づけた寺堂をたてたが、これは、「波陀米泥良」と書いた。「甚目寺」と書くようになったのは、中世からであるらしい。言い伝えでは、創建の経緯は以上の通りだが、実際、その歴史は奈良時代以前に遡ることができる、という仏教考古学者である石田茂作の研究もある。 天智天皇が病気になったとき、甚目寺で祈祷したところ、快癒したという。このことから、甚目寺は、勅願寺となった。鎌倉時代には1山500坊、約3000人の僧がいたと伝わる。戦国時代には、織田信長や徳川家康の保護を受けて繁栄した。その他、豊臣秀吉から160石、徳川義直から300石の寄進があった。 国指定重要文化財である三重塔・南大門・東門をはじめ国・県指定の文化財が多数あり歴史の古さが偲ばれる。
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mary 0517
2024/03/29

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